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平成26年 2014年 5月創業から、皆様に支えられ
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(会社になる前、平成22年 2010年 個人事業
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ルクエテマスターの今日の演奏!Vol.27

ルクエテマスターの今日の演奏Vol.27  2025/07/13

 

今日の曲は、チャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」です。美しいメロディーを作らせたら右に出るものがいないチャイコフスキーの曲の中でも「ロシアで一番美しいメロディー」を持つ名曲です。

 

言うまでもなく「ロメオとジュリエット」はシェイクスピアの名戯曲です。この名作を題材としては、今回取り上げるチャイコフスキーとプロコフィエフの組曲が有名です。私の個人的な感想では、プロコフィエフの組曲の中の1曲「モンタギュー家とギャビレット家」が一番有名な気がしますが、チャイコフスキーのこの曲ももっと演奏されて良い名曲だと思います。

 

私のこのチャイコフスキーの曲との出会いは大学1年生の時、学生オーケストラに入団してすぐのコンサートでした。当然何も楽器が弾けない私は、椅子や楽譜立ての準備等の雑用をしていましたが、先輩方の練習を聴いて「なんて素敵な曲なんだ!」と感激して、すぐにCDを購入しました。もちろん初心者なので、誰の指揮かもどこのオーケストラかも分かりません。

 

これが素晴らしく良い演奏だったのです!アンタル・ドラティ指揮、ロンドン交響楽団の演奏で、美しいメロディーはさらに美しく、迫力ある部分は低弦まで凄まじい迫力を、それぞれ絶妙なバランスでドラティがオーケストラをドライブしています。

 

Vol.18でオーケストラには個性があるという話をしましたが、イギリスのオーケストラの特徴は、弦楽器ではチェロとコントラバスの低弦がとても大きな音が出る、ブラス(金管楽器)が名人的に上手、というものがあると私は思っています。それがこの「ロメオとジュリエット」にとてもハマった演奏になっているのです。

 

曲は静かな序奏を経て、モンタギュー家とギャビレット家の争いを象徴するような激しい部分を経て、恋する二人を包み込むような甘いメロディーに移ります。このメロディーこそ「ロシアで一番美しい」と言われているメロディーです。主旋律自体も素晴らしいのですが、伴奏のホルンが半音ずつ下がっていく部分が私は大好きです。決して祝福された恋ではないことを暗示しているかのようです。そして印象的なハープの伴奏でこの淡い幸せなメロディーは幕を閉じます。

 

両家の争いの激しいメロディーも恋のメロディーと対照的です。特に弦楽器に超絶技巧の早いパッセージ(演奏部分)があり、ドラティの演奏はその部分が他の録音と比較してもとても速く正確なのです。もっと速い演奏もあるのですが、正確さ、激しさの点で劣る演奏が多いです。私はこの部分を聴いたとき、「このオーケストラはこの曲ばかりを演奏しているのではないか?」と思ったほどです。

 

さて、物語は悲劇なので、当然曲も悲劇的なクライマックスを迎えます。最後のチェロとコントラバスの「あがき」にティンパニーがとどめを刺す部分は圧巻です。しかしチャイコフスキーはその後に、悲劇的な恋に翻弄された二人を癒やすように美しい後奏を作曲してくれました。この後奏がまた美しいのです。低弦の和音の上に天国的な美しいメロディーが、はかなく、そして劇的にこの曲を締めくくっています。素晴らしい曲です。

 

是非皆様もネットで探して、聴いてみてください!

 

それでは今回はこれで!次回も乞うご期待!


ルクエテマスターの今日の演奏!
Vol.26 2025/06/28

 

こんにちは!今日のテーマは、前回に続き「帝王」ヘルベルト・フォン・カラヤンの後編です。ベルリン・フィルとともに世界のスーパースターへの歩みとその影です。

 

カラヤンの功績で、私が最大に評価しているのはCDの普及です。CDが市場を席巻することで、それまでのレコードはあっという間に駆逐されてしまいました。その立役者の一人としてカラヤンを評価しています。音楽的な評価でないのが、彼らしいですね(^_^)

 

CDはオランダのフィリップス社とソニーの共同開発で生まれました。レコードがアナログ録音であったのに対して、CDはデジタル録音です。しかも半永久的に保存が可能です。カラヤンが関わった部分で一番大きな点は、録音時間です。カラヤンは録音時間を決定するに当たり「自分のベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」の演奏が入る長さ」と提案し、CDの録音時間が74分になったのは有名な話です。

 

次に演奏についての面白いお話です。カラヤンは非常に力強い音を好みました。自分の音楽作りにマッチしていたのでしょう。そこでオーケストラから、従前よりもさらに大きな音を引き出すことを要求しました。その結果、ベルリン・フィルの弦楽器セクションは過去に例を見ないほどの大きな音を出すことに成功しました。あまりの大音量のため、それまでのオーケストラの編成では、管楽器の音が聞き取りにくくなったほどです。

 

そこでカラヤンは、管楽器に対して「倍管編成」をとることにしました。作曲者の指示で2本だったトランペットを4本にするといった具合です。倍管編成自体は昔から行われている方法です。特に吹奏楽においては、アシ(アシスタント)と呼ばれプロ・アマ問わず使われてきた手法です。

 

しかし弊害もありました。オーケストラは指揮者の前から、弦楽器、木管楽器、金管楽器、打楽器の順で並んでいるのが普通です。ベルリン・フィルもそうです。そのため、倍管編成になった金管楽器の音が余りに大きく、木管楽器奏者が耳の不調を訴えるようになってしまったのです。

 

その対策として、コンサートの時には金管楽器と木管楽器の間に透明なアクリルの板が設置されたそうです。また、ティンパニー奏者であったテーリヒェンはその著書「フルトヴェングラーかカラヤンか」で、コンサート中は耳栓をしていたことを明かしています。これでカラヤンが望んだ音量は確保できました。

 

次にカラヤンは、前任の常任指揮者フルトヴェングラーの色をオーケストラから消すことに腐心しました。私が所有しているCDの中に、カラヤン指揮、モーツァルトの交響曲第40番のリハーサル風景を録音したボーナストラックが入っているのですが、カラヤンはまず第1楽章冒頭のヴィオラが担当する伴奏である「刻み」を、もの凄くスローなテンポで天下のベルリン・フィルにパート弾きさせているのです。

 

少しでも自分の思い通りにならなければ「Nichit !(違う!)」と怒鳴り、また最初からスローテンポで演奏させるのです。私の推測ですが、カラヤンは他のパートにも同じような練習を強いて、自分の色でオーケストラを染め直したのでしょう。「カラヤン・サウンド」はこうして生まれたのです。

 

カラヤンは自分の思い通りにオーケストラを改造し、スペクタクルな演奏で聴衆を魅了し、あれよあれよという間に「帝王」に上り詰めました。カラヤンのCDはベストセラーになりました。日本でも「アダージョ・カラヤン」というシリーズがベストセラーになったことを覚えていらっしゃる方もいるでしょう。

 

しかしながら、カラヤンのパフォーマンスには大きな賛辞が送られましたが、肝心の音楽についての評価は、彼の没後もフルトヴェングラーには遠く及んでいません。むしろドイツのオーケストラとして最重要なレパートリーである「ベートーヴェンの交響曲」での評価が芳しくありません。

 

例を挙げると、交響曲第6番「田園」はカラヤン好みのハイスピードテンポで演奏されるのですが、「まるでスポーツカーで田園地帯を走行するようだ」と言われ、音楽性については疑問符がついています。これがチャイコフスキーの後期3大交響曲などになると、それなりの評価を得ている演奏もあります。特に交響曲第6番「悲愴」を6回も録音しています。それだけお気に入りの曲だったのでしょう。

 

指揮者によって得手不得手はあると思いますので、いかに「帝王」カラヤンでもその例に漏れなかったのは、ある意味人間くささを感じます。音楽界に君臨したカラヤンですが、その演奏においてフルトヴェングラーを超えられなかったのはきっと心残りだったことでしょう。

 

それでは今回はこれで!次回も乞うご期待!



ルクエテマスターの今日の演奏!Vol.
25  2025/06/21

 

今日のテーマは、前回に続き「帝王」ヘルベルト・フォン・カラヤンの後編です。ベルリン・フィルとともに世界のスーパースターへの歩みとその影です。

 

カラヤンの功績で、私が最大に評価しているのはCDの普及です。CDが市場を席巻することで、それまでのレコードはあっという間に駆逐されてしまいました。その立役者の一人としてカラヤンを評価しています。音楽的な評価でないのが、彼らしいですね(^_^)

 

CDはオランダのフィリップス社とソニーの共同開発で生まれました。レコードがアナログ録音であったのに対して、CDはデジタル録音です。しかも半永久的に保存が可能です。カラヤンが関わった部分で一番大きな点は、録音時間です。カラヤンは録音時間を決定するに当たり「自分のベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」の演奏が入る長さ」と提案し、CDの録音時間が74分になったのは有名な話です。

 

次に演奏についての面白いお話です。カラヤンは非常に力強い音を好みました。自分の音楽作りにマッチしていたのでしょう。そこでオーケストラから、従前よりもさらに大きな音を引き出すことを要求しました。その結果、ベルリン・フィルの弦楽器セクションは過去に例を見ないほどの大きな音を出すことに成功しました。あまりの大音量のため、それまでのオーケストラの編成では、管楽器の音が聞き取りにくくなったほどです。

 

そこでカラヤンは、管楽器に対して「倍管編成」をとることにしました。作曲者の指示で2本だったトランペットを4本にするといった具合です。倍管編成自体は昔から行われている方法です。特に吹奏楽においては、アシ(アシスタント)と呼ばれプロ・アマ問わず使われてきた手法です。

 

しかし弊害もありました。オーケストラは指揮者の前から、弦楽器、木管楽器、金管楽器、打楽器の順で並んでいるのが普通です。ベルリン・フィルもそうです。そのため、倍管編成になった金管楽器の音が余りに大きく、木管楽器奏者が耳の不調を訴えるようになってしまったのです。

 

その対策として、コンサートの時には金管楽器と木管楽器の間に透明なアクリルの板が設置されたそうです。また、ティンパニー奏者であったテーリヒェンはその著書「フルトヴェングラーかカラヤンか」で、コンサート中は耳栓をしていたことを明かしています。これでカラヤンが望んだ音量は確保できました。

 

次にカラヤンは、前任の常任指揮者フルトヴェングラーの色をオーケストラから消すことに腐心しました。私が所有しているCDの中に、カラヤン指揮、モーツァルトの交響曲第40番のリハーサル風景を録音したボーナストラックが入っているのですが、カラヤンはまず第1楽章冒頭のヴィオラが担当する伴奏である「刻み」を、もの凄くスローなテンポで天下のベルリン・フィルにパート弾きさせているのです。

 

少しでも自分の思い通りにならなければ「Nichit !(違う!)」と怒鳴り、また最初からスローテンポで演奏させるのです。私の推測ですが、カラヤンは他のパートにも同じような練習を強いて、自分の色でオーケストラを染め直したのでしょう。「カラヤン・サウンド」はこうして生まれたのです。

 

カラヤンは自分の思い通りにオーケストラを改造し、スペクタクルな演奏で聴衆を魅了し、あれよあれよという間に「帝王」に上り詰めました。カラヤンのCDはベストセラーになりました。日本でも「アダージョ・カラヤン」というシリーズがベストセラーになったことを覚えていらっしゃる方もいるでしょう。

 

しかしながら、カラヤンのパフォーマンスには大きな賛辞が送られましたが、肝心の音楽についての評価は、彼の没後もフルトヴェングラーには遠く及んでいません。むしろドイツのオーケストラとして最重要なレパートリーである「ベートーヴェンの交響曲」での評価が芳しくありません。

 

例を挙げると、交響曲第6番「田園」はカラヤン好みのハイスピードテンポで演奏されるのですが、「まるでスポーツカーで田園地帯を走行するようだ」と言われ、音楽性については疑問符がついています。これがチャイコフスキーの後期3大交響曲などになると、それなりの評価を得ている演奏もあります。特に交響曲第6番「悲愴」を6回も録音しています。それだけお気に入りの曲だったのでしょう。

 

指揮者によって得手不得手はあると思いますので、いかに「帝王」カラヤンでもその例に漏れなかったのは、ある意味人間くささを感じます。音楽界に君臨したカラヤンですが、その演奏においてフルトヴェングラーを超えられなかったのはきっと心残りだったことでしょう。

 

カラヤンの演奏はネット上に掃いて捨てるほどあります。そのほとんどがベルリン・フィルとの演奏ですから、まず一定以上のレベルにはあるかと思いますので、これまでご紹介してきた曲を聴いてみてはいかがでしょうか?

 

それでは今回はこれで!次回も乞うご期待!



ルクエテマスターの今日の演奏!
24  2025/06/14

 

今日のテーマは、満を持して20世紀の指揮者の「帝王」ヘルベルト・フォン・カラヤンにスポットを当てたいと思います。素晴らしいカリスマを持つ一方で、きな臭い噂もあったカラヤンの「光と影」をひもといてみたいと思います。

 

まず私が好きなカラヤンの演奏を。カラヤンはベルリン・フィルとのコンビで、数多くの録音を残していますが、チャイコフスキーとドヴォルザークの「弦楽セレナーデ」、ベートーヴェンの交響曲第1番くらいですね。「帝王」と呼ばれた割に、私の心に響く名演奏が極端に少ないです。これは私だけではないようで、多くの音楽評論家の間でも積極的にカラヤンを「推す」人は少ないです。

 

ではなぜカラヤンは「帝王」になり得たのか?一言で言えば政治力です。ベルリン・フィルの常任指揮者というは、ウィーン・フィルの常任指揮者と並んで音楽世界の頂点とも言うべき地位です。この連載でも度々登場しているフルトヴェングラーも享受した、名誉ある地位です。カラヤンはフルトヴェングラーの次の代のベルリン・フィルの常任指揮者ですが、決まるいきさつがちょっとすんなりといかなかった経緯があります。

 

まずなぜベルリン・フィルの常任指揮者を決める羽目になったかというと、フルトヴェングラーが60歳の若さで突然亡くなったからです。それまでももの凄かったのに、さあこれからというときに彼はあっけなく肺炎で亡くなってしまいます。フルトヴェングラーは第二次大戦中に、他の音楽家が次々にナチスの手を逃れて国外へ出て行ったのに対し、ドイツに残って演奏活動を続けました。全ては祖国ドイツ国民のためです。

 

彼はナチス党員ではありませんでしたが、ヒトラーはフルトヴェングラーの演奏に心酔していましたので、様々なセレモニーに引っ張り出され、慰問演奏までやらされました。その結果、戦後の連合国による戦争裁判でフルトヴェングラーは有罪判決を受け、2年間の演奏禁止という罰を下されました。

 

空白の2年間、ベルリン・フィルを守ったのは、セルジウ・チェリビダッケという指揮者でした。チェリビダッケは敗戦で苦しむドイツ国民のために、いつか戻って来るフルトヴェングラーのために戦後の混乱期にベルリン・フィルの指揮台に立ち、演奏活動を行いました。1947年にフルトヴェングラーが常任指揮者に戻って、亡くなる1654年までの7年間に、「バイロイトの第九」を筆頭に素晴らしい演奏が数多く残されました。

 

一方のカラヤンですが、実は彼はドイツ国内で「ナチス党員」として演奏活動を行っていました。フルトヴェングラーはカラヤンのことを猛烈に嫌っていて、激高すると「あのKの野郎!」と頭文字で罵るほどだったそうです。カラヤンとしては大戦中も演奏活動を続けるための方策だったのかもしれませんが、ナチス党員であったことは彼の人生に影を落としました。

 

そして訪れたフルトヴェングラーの逝去です。誰もが戦後のベルリン・フィルを守り抜いたチェリビダッケが次の常任指揮者になると思っていました。しかし、ベルリン・フィルに選ばれたのはカラヤンでした。これは音楽界のミステリー的な驚くべき事件でした。全てはカラヤンの政治的な力によるものだという説が有力です。ベルリン・フィルの団員たちも、苦渋の決断であったと言います。

 

チェリビダッケは落胆し、ドイツ南部のミュンヘン・フィルの常任指揮者としてその生涯を終えました。録音好きのカラヤンとは対照的に、自分の演奏は一切録音を残さないと心に決めていました。こうしてカラヤンは世界一のオーケストラの常任指揮者となり、破竹の勢いで「帝王」への道を歩んでいくのです。

 

今回はここまでを前編としたいと思います。



ルクエテマスターの今日の演奏!
23  2025/06/07

 

こんにちは!今日のテーマは最近の素晴らしかったコンサートです!531日の台湾フィルハーモニックのコンサート、稀にみる名演奏でした!私の中で5本の指に入る県劇でのコンサートでした。

 

オープニングの、齋泰然「フォルモサからの天使」は、あえて曲の解説を読まずに聴きましたが「ああ、台湾の春はきっとこのような喜びではないか?」と思った、とても暖かい作品でした。演奏が終わっても指揮のメルクルが余韻を残し(なんともステキな時間でした!)、それから拍手が沸き起こるとても素晴らしい演奏でした。

 

サブのベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、若きホアンが全身全霊をかけて演奏し、オケがしっかり脇を固める、お手本のようなベートーヴェンでした!冒頭のティンパニ-に続く木管楽器の素朴で美しいメロディーによって、一気にベートーヴェンの世界に空気が変わりました。

 

オープニングでも思ったのですが、台湾フィルは木管楽器とビオラ、チェロ、バスが特に上手に感じられました。全体的に日本のプロオケとは違い、明らかにオケの音の密度が濃厚でキリッとした重厚な音はまさにベートーヴェンにふさわしく思われました。

 

初めて生演奏に触れましたが、ベートーヴェンの様々な意図をメルクルと台湾フィルを通して発見することができました。文句なしのブラボーです!

後半のマーラーの交響曲第4番は、前半の素晴らしい演奏からいやが上にも期待に胸が膨らみましたが、台湾フィルはその期待値のはるか上を行く演奏を披露してくれました。

 

私はまだまだマーラーは不勉強なので、的外れな感想かもしれませんが、今日の演奏を聴いて「マーラーの交響曲第4番は、アダージェットを有する第5番より、ずっと聴きやすい作品ではないか?」と感じられました。

 

とにかく随所に第5番を彷彿とさせるモチーフが現れて、それでいてマーラー特有の難解さの要素が少なく思われました。決してチャイコフスキーのように聴きやすいメロディーばかりではありませんが「一見さんお断り」みたいなハードルは感じませんでした。

交響曲第4番も私は生演奏は初めてでしたが、こんなに軽やかで美しい曲であるとわかったのはとても大きな喜びでした。

ソリストの森さんもさすがの貫禄(失礼!)で決して悪目立ちせず、静かに終わるこの交響曲の一つのパートのように曲に寄り添っていたのが印象的でした。

 

名演奏は時間が経つのを忘れますが、本日の演奏がまさに時間を忘れて聴き入ってしまう演奏でした。

 

マーラーはベートーヴェンとはまた違う演奏の難しさがあると思いますが、台湾フィルは非常に高いレベルでマーラーの演奏を披露してくれました。カーテンコールでメルクルが各パートを立たせていましたが、ホルンパートで特に「ブラボー」が多く、やはりホルンパートが巧いマーラーであったことは聴衆の皆さんもとっくにおわかりだったようですね。

私がこのコンサートを初めて知ったとき、オケや指揮者よりもプログラムを知って、すぐにチケット購入に走りました。以前もFBで書きましたが、とても豪華なプロセスだと思います。自信が無ければ、こんなプログラムは組めないと思います。

 

しかしメルクルと台湾フィルは素晴らしいソリストとともに、私のコンサート視聴歴史上に残る素晴らしい名演奏を実現してくれました!

 

ありがとう、メルクル!ありがとう、台湾フィル!

 

皆さんも良いコンサートに巡り会えると良いですね!人生の価値観が変わりますよ!今日のベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲とマーラーの交響曲第4番もいっぱいネットにある有名曲ですから、もし良かったら聴いてみてくださいね!

 

それでは今回はこれで!次回も乞うご期待!



ルクエテマスターの今日の演奏!
22  2025/06/02

 

こんにちは!今日も再びある指揮者にスポットを当てたいと思います。その指揮者はカルロス・クライバー。素晴らしいカリスマを持つ一方で、コンサートのドタキャンが多い伝説のキャンセル魔の指揮者です。同時に偉大な指揮者であったエーリッヒ・クライバーを父に持ったことで、苦難を抱えた指揮者でもありました。

 

私がクライバーに「出会った」のは、ベートーヴェンの交響曲第7番のCDでした。「のだめカンタービレ」で一躍有名になった「ベト7」ですが、クライバーとウィーン・フィルのコンビで録音された「ベト7」は、名演奏が数ある同曲において抜きん出て私を感動させてくれました。

 

私の感動したポイントは2カ所あります。どちらも2nd(セカンド)ヴァイオリンに関する部分です。今更ですがオーケストラの弦楽器の編成は、1st(ファースト)ヴァイオリン、2ndヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスになっています。実はヴァイオリンは2つのパートに分かれています。その方が豊かな和音と優美なメロディーを得ることができるからです。

 

クライバーの「ベト7」は2つのヴァイオリンパートを、ステージに向かって左側手前に1st、右側手前に2ndという「両翼配置」を取っているところがミソです。このことにより、普段余り目立たない2ndヴァイオリンが、ベートーヴェンの交響曲ではとても大事な役割を担っていることをはっきりと教えてくれました。

 

そのためにはまず「ソナタ形式」を説明します。交響曲の第1楽章は「ソナタ形式」を取ることが多いのです。「ソナタ形式」とは、その昔、録音技術が無かった時代には作曲家は聴衆にメロディーを覚えてもらうために、「提示部」「展開部」「再現部」という3つの部分を使って作曲をしました。「提示部」は通常「繰り返し記号」があり「提示部」を繰り返すことで聴衆にこの曲の主要なメロディーを印象づけます。

 

次に「展開部」で「提示部」で印象づけたメロディーを使って曲を広げていきます。展開するので「展開部」です。「再現部」では展開された「提示部」のメロディーが調性を変えて再現されるので「再現部」と呼ばれます。これが「ソナタ形式」です。交響曲だけではなく、ヴァイオリン・ソナタやピアノ・ソナタというように、ソナタ形式は様々な曲で使用されています。どれも作曲家が自分の曲を聴衆に覚えてもらうための必死の策です。

 

閑話休題。クライバーの「ベト7」第1楽章の再現部の冒頭で、他のCDでは聞こえないヴァイオリンの音がするので、あわててスコア(総譜、全パートの楽譜が書かれた本)で確認すると2ndヴァイオリンの音でした。これがとても魅力的なのです。他の演奏では聞こえなかった2ndヴァイオリンの「仕事」を明瞭に聞き取ることができます。私がアマチュアオーケストラにいたときに、当時NHK交響楽団の首席オーボエ奏者だった小島葉子さんにトレーニングしてもらったときに「ベートーヴェンが一つ一つ手で書いた音符なのだから、1つとしておろそかに演奏することは失礼だ」という金言を賜りました。クライバーの演奏はまさにそれを体現していると思います。

 

もう一つの聴き所は第4楽章のクライマックスです。さきほどクライバーの「ベト7」はヴァイオリンを「両翼配置」していると書きましたが、この第4楽章では1stヴァイオリンと2ndヴァイオリンが交互に音量を上げながら左右からステレオでものすごい緊張感で曲を盛り上げるのです。そしてクライマックスで同時に同じメロディーにたどり着く瞬間の高揚感は、本当に筆舌に尽くしがたいです。

 

さらに付け加えると、ベートーヴェンはダイナミクス(音量)をpp(ピアニッシモ)からff(フォルテッシモ)の間で交響曲第6番「田園」までは作曲してきたのですが、この交響曲第7番の第4楽章のこのクライマックスで初めて「fff(フォルテッシシモ)」を使用しているのです。それくらいレアな部分なのです。そのレアな部分をここまで完璧に演奏してしまうなんて、まさに天才の所業です。

 

今回は「ベト7」のことだけでしたが、クライバーにはベートーヴェンの交響曲第4番、交響曲第5番「運命」の2曲でも不滅の名盤を残しています。「ベト7」を堪能されたら、こちらも是非聴いてみてください!

さあ、ネットで検索して、カルロス・クライバーの世界の扉を開けてみましょう!

それでは今回はこれで!次回も乞うご期待!


ルクエテマスターの今日の演奏Vol.21  2025/05/24


こんにちは!今日のお題はある指揮者にスポットを当てたいと思います。その指揮者はエフゲニー・ムラヴィンスキー。旧ソ連の指揮者です。Vol.10でご紹介した、50年間にわたってレニングラード・フィルの常任指揮者であった、伝説の巨匠です。

 

私がムラヴィンスキーに「出会った」のは、チャイコフスキーの交響曲第4番のCDでした。チャイコフスキーは6曲の交響曲を残していますが、特に第46番は「後期3大交響曲」として特に有名です。ムラヴィンスキーの残した「後期3大交響曲」は不滅の名盤として音楽史上に燦然と光り輝いています。

 

チャイコフスキーの「後期3大交響曲」はどれも名曲で、たくさんの指揮者が演奏録音を残しています。コンサートでもよく取り上げられます。それくらい有名な曲なのですが、不滅の演奏は意外に少ないです。チャイコフスキーの作曲がそもそも素晴らしいので、大学オーケストラが演奏してもなかなか感動できる良曲です。

 

私が大学オーケストラに入団していろいろな曲を聴いていたとき、チャイコフスキーの後期3大交響曲ももちろん聴きました。でも感想としては「ふーん、迫力あるね」くらいのものでした。

 

しかしムラヴィンスキーのチャイコフスキー交響曲第4番を聴いたときは、体に電流が走りました!「何だ、この演奏は!すごすぎる!」と素直に思いました。それ以前に聴いたチャイコフスキーの交響曲第4番は、名盤と謳われていたカラヤンとベルリン・フィルの演奏でした。その演奏を聴いても前述のような感想だったのに、ムラヴィンスキーは別次元の感動を与えてくれました。

 

まず第1楽章の冒頭で度肝を抜かれました。この曲はホルンのファンファーレ?で始まるのですが、そのホルンの音色のすごいこと!一気に曲の中に連れて行かれました。そして満を持して始まるヴァイオリンのメロディーがこれまた凄まじい!スゴイ!ではなく、凄まじい!です。凍てつくロシアの大地を思わせるような悲壮感は特筆ものです。

 

レニングラード・フィルは欧米のオーケストラと編成が違う点があります。欧米のオーケストラ、つまり一般的なオーケストラなのですが、現楽器の数がヴァイオリン→ヴィオラ→チェロ→コントラバスに行くに従って減っていくのです。低減楽器の方が大きな音が出ることに由来しているのかもしれませんが、真の理由は私も知りません。

 

ところがレニングラード・フィルは、弦楽四重奏を拡大した弦楽器編成になっており、各楽器のパートごとの数が同じなのです。つまりファーストヴァイオリンが14人いれば、チェロも14人いることになります。未確認ですが、コントラバスもチェロに近い人数いるはずです。これを「レニングラードスタイル」もしくは「レニングラード編成」と言います。つまり低弦楽器の音がとても大きいのです。

 

チャイコフスキーの曲で特に顕著に思われるのは、弦楽器の音が移動することです。髙弦楽器から低弦楽器へ、またその逆もアリです。交響曲だけでなく、バレエ「白鳥の湖」「くるみ割り人形」でもこの技法が頻繁に使われています。このことが「レニングラードスタイル」を生み出した一因かもしれません。とにかく「レニングラードスタイル」で演奏されるチャイコフスキーは、その迫力において群を抜いています。

 

指揮者はとにかく派手な動きでオーケストラをドライブしますが、ムラヴィンスキーはその逆です。ほぼ両手の小さな動きのみですが出てくる音楽はものすごく感動的です。50年間の長きにわたってオーケストラと信頼関係を築き上げたが故の、唯一無二の演奏スタイルです。

 

ここまで書けば当たり前なのですが、チャイコフスキーの後期3大交響曲のベスト演奏はムラヴィンスキーにとどめを刺します。ロシアもの以外でも、ベートーヴェンやモーツァルト、ブラームスでも、ムラヴィンスキーならではの素晴らしい表現の録音が数多くあります。

 

最後ですが、チャイコフスキーの交響曲第4番をいきなり全部通して聴くのは大変なので、まずは次の2曲を聴いてみてください。グリンカ作曲の歌劇「ルスランとリュドミーラ」序曲、ワーグナー作曲の歌劇「ローエングリン」第3幕への前奏曲。どちらも3分ほどの曲ですが、これを聴けば、いかにムラヴィンスキーとレニングラード・フィルが素晴らしいコンビなのかが必ず分かります。

 

さあ、ネットで検索して、ムラヴィンスキーの世界の扉を開けてみましょう!

それでは今回はこれで!次回も乞うご期待!

 

ルクエテマスターの今日の演奏!Vol.20

ルクエテマスターの今日の演奏!Vol.20  2025/05/18

 

こんにちは!第20回目は、マーラーの交響曲第1番「巨人」にスポットを当てたいと思います。マーラーはバブルの頃に日本で大ブームとなった、比較的最近(それでも19世紀)の作曲家です。

 

ではなぜ、マーラーがブームになったのか?残念ながら私にもわかりません、すみません。マーラーの交響曲全集を持っていながら、聴いたことがない曲があるくらいです。正直言って、マーラーの曲は、私にとってとても難解です。きっとブームを牽引したのは、モーツァルトやベートーヴェンに物足りなさを感じていた一部のマニアだったのかもしれません。私は交響曲第1番と第5番は大好きでよく聴いています。今回はそのうちの一つ、交響曲第1番です。

 

交響曲第1番は、一言で言えば「失恋ソング」です。マーラーが失恋したときに作曲した「さすらう若人の歌」という歌曲集があるのですが、交響曲第1番にはそのメロディーが引用されています。両者は切っても切り離せない曲なのです。しかもこの曲を知ったときの私が失恋したばかりだったので、もうホントにこの2曲ばかりを聴いていました。ほろ苦い思い出です。

 

さてマーラーの交響曲はどれもオーケストラの編成が大きく、特に金管楽器は各楽器4本ずつくらいあります。ホルンに至っては6本くらいあります。それで金管楽器奏者は、マーラーが好きな方が多いようですね。実際見せ場も多く、私の学生オケの先輩は「マーラーやるまで卒業しませーん!」と公言していました(^_^)

 

そういうわけで色々な演奏を聴いてきましたが、私にとってのベストはクラウディオ・アバド指揮のシカゴ交響楽団の演奏です。世間一般ではマーラーのスペシャリストと呼ばれるレナード・バーンスタインの評価が高いようですが、私は断然アバド&シカゴ交響楽団です。アバドはこの交響曲第1番を後年ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とも録音していますが、私の好みは断然シカゴ交響楽団です。その理由について説明します。

 

以前、フランスのオーケストラであるパリ管弦楽団のお話をしましたが、シカゴ交響楽団もアメリカならではのオーケストラです。基本的にアメリカの著名なオーケストラは上手な奏者が多いのですが、シカゴ交響楽団の場合はそれに「ある事件?」が重なったのです。実はシカゴ交響楽団の本拠地であるイリノイ州の「オーケストラ・ホール」は残念ながら音響が悪く、それをカバーするために金管楽器が強力な力を付けてしまったのです。

 

金管楽器が強力なのは、マーラーの交響曲を演奏するには誠に好都合でした。さすがのベルリン・フィル相手でも、少なくともこの交響曲第1番ではシカゴ交響楽団に軍配を上げざるを得ません。加えて金管楽器のアンサンブルが最高なのです。特に第1楽章と第4楽章のクライマックスでは信じられないくらい呼吸ぴったりの演奏を聴かせてくれます。

 

マーラーの交響曲では、名指揮者でもあったマーラーの指示が楽譜に細かく書き込まれています。特にホルンなどは、一番目立つところで立ち上がって音の出口(ベルと言います)を上に向ける「ベルアップ」という指示が書き込まれています。そのためCDで聴くだけではわかりませんが、ライブで演奏を聴くと本当にホルンが立ち上がって「ベルアップ」のパフォーマンスをしますので、知らない人はとても驚くと思います。

 

金管楽器のことばかりかいてきましたが、忘れていけないのは第3楽章冒頭のコントラバスのソロでしょう。コントラバスのソロはハイドンの時代からありましたので、さほど珍しくはないのですが大音量で第2楽章が終わったあと、静かなティンパニに導かれるように始まるコントラバスのソロはとても不気味です。なまじ他の楽章が派手なだけに、コントラバスのソロで始まる第3楽章はまさに「失恋ソング」と言って良いでしょう。

 

この交響曲第1番の副題「巨人」については、また別の機会に。さあ皆さん、ネットで検索して若きマーラーの青春の交響曲を聴いてみてください!

 

それでは今回はこれで!次回も乞うご期待!



ルクエテマスターの今日の演奏!
Vol.19  2025/05/08

 

こんにちは!第19回目です。今日のお題は演奏ではありません。指揮者とオーケストラの関係についてのお話です。指揮者とオーケストラ合ってのクラシック音楽なので、指揮者とオーケストラの間には様々なドラマがあります。今回はそれを豆知識的にご紹介したいと思います。

 

プロのオーケストラであれば、ほとんどが指揮者と期間限定契約を結んでいます。お互いに期待して演奏という仕事に取り組みますが、10年以上その関係が続くことは残念ながら余り聞いたことがありません。

 

しかしながら世の中には、実に50年間という長きにわたって演奏活動を行ってきた例もあります。しかも2つも!

 

1つめは、旧ソビエト連邦共和国の指揮者エフゲニー・ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルハーモニー・オーケストラです。ムラヴィンスキーは指揮活動初期からめきめきと頭角を現して、20代でレニングラード・フィルの常任指揮者となり、その後50年間にわたって名演奏を次々に生み出してきました。

 

特にお国柄ですがロシアの音楽には定評があり、チャイコフスキーやショスタコーヴィチの演奏において右に出るものはいませんでした。ショスタコーヴィチに至っては作曲者の生前から親交があり、いくつもの交響曲の初演を任されています。その演奏がスタンダードになるほど、作曲者の信頼も厚かったようです。ムラヴィンスキーについては、チャイコフスキーの演奏について別の機会に書きたいと思います。

 

2つめは、意外と言っては失礼ですが日本のオーケストラです。朝比奈隆と大阪フィルハーモニー・オーケストラのコンビです。朝比奈は世界的な名声があったわけではありませんが、日本国内では熱心なファンがおり、ベートーヴェンやブルックナーといったドイツ、オーストリアの作曲家の演奏に定評がありました。朝比奈は最晩年に、ついにシカゴ交響楽団に呼ばれてブルックナーの8番の名演奏を披露しました。NHKでそのドキュメント番組がありましたが、90歳を超えた朝比奈に対しステージマネージャーが「指揮に椅子は必要ですか?」と尋ねると、朝比奈は「No, standing is my job !(いらない、立っているのが俺の仕事だ)」と切り捨てていました。鬼気迫る朝比奈にものすごい執念を感じました。

 

この2つは長期間という観点で見てきましたが、短期間でも素晴らしいコンビだった例がいくつもあります。私が最初に思いつくのは、フルトヴェングラーとベルリン・フィルのコンビです。20世紀最高の指揮者、いや私が最も敬愛する指揮者であるフルトヴェングラーは、ベルリン・フィルの音楽監督としてまさに最高の芸術である素晴らしい名演奏をたくさん残しています。ベートーヴェンの第九の時のように、寄せ集めのオーケストラからでさえ不滅の名演奏を生み出したフルトヴェングラーですから、ベルリン・フィルとの演奏でも比類無い名演奏を聴かせてくれます。そればかりか一時期はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とも常任指揮者を兼任した、比類無き指揮者です。まさに世界最高のコンビと言えるでしょう。

 

惜しまれるのは、フルトヴェングラーの活動時期が第2次世界大戦をまたいでいたことと、彼自身が60歳の若さで無くなっていることです。この2つの要因が無ければ、私たちはもっとたくさんの名演奏に触れることができたであろうと思うと、慚愧の念に堪えません。思い起こせばモーツァルトやシューベルトも早世の天才作曲家でした。余りにも傑出した才能に、神が天国への道を急がせたのでしょうか?

 

名コンビという観点では、フルトヴェングラーと同時期に活躍したアルトゥーロ・トスカニーニとNBC交響楽団や、ブルーノ・ワルターとコロンビア交響楽団、ジョージ・セルとクリーヴランド管弦楽団も忘れられません。前2者はどちらもわざわざレコード会社が指揮者のために作った専属のオーケストラです。

 

トスカニーニはテレビやラジオを通して、フルトヴェングラーの生々しい感情的な演奏とは対極の即物的でいてこれまた素晴らしい演奏を残しています。メンデルスゾーンの高度なアンサンブルを要求する交響曲第4番「イタリア」は、これ以上は考えられないくらい素晴らしい演奏です。ワルターはモノラル録音からステレオ録音時代になったことで、これまでのワルターの素晴らしい演奏をステレオ録音で録音し直したレコード会社の思惑が見事に当たった素晴らしいライブラリーです。特にベートーヴェンの「田園交響曲」が私は大のお気に入りです。

 

3番目のセルは、ちょっと問題児です。彼はクリーヴランド管弦楽団からウィーン・フィルのような音を引き出そうと考え、意にそぐわないオーケストラ団員をどんどんやめさせました。結局半分の団員が入れ替わったそうです。そして厳しい練習を課し、アンサンブルの精度をものすごく上げて、結果的に一地方オーケストラであったクリーヴランド管弦楽団を、全米で5本の指に入るくらいのトップオーケストラに育て上げました。ただし、やはり団員からの評判は悪く、牛乳瓶の底のようなめがねをかけていたセルのことを「一つ目小僧」というあだ名で呼んでいたそうです。私はドヴォルザークの交響曲第8番の最初の録音が特に気に入っています。

 

20世紀はとにかく名指揮者の時代でした。この1回だけではとても紹介しきれません。まずは今回ご紹介した演奏をネットで聴いてみてください。

 

それでは今回はこれで!次回も乞うご期待!


ルクエテマスターの今日の演奏!Vol.18  2025/04/29

 

こんにちは!第18回目は、あるオーケストラにスポットを当てたいと思います。そのオーケストラは、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団でもベルリン・フィルハーモニー管弦楽団でもありません。パリ管弦楽団です。

 

オーケストラにはそれぞれ個性があります。ドイツのオーケストラ、ウィーンのオーケストラ、イギリスのオーケストラ、アメリカのオーケストラ、そしてフランスのオーケストラ、それぞれに「お国柄」とも言うべき個性があるのです。今回取り上げるパリ管弦楽団は実にフランスらしいオーケストラです。なんと言っても芸術の都、花の都パリのオーケストラですから。

 

パリ管弦楽団は最初からこの名前だったわけではありません。オーケストラ設立当時は「パリ音楽院管弦楽団」と名乗っていました。1967年にオーケストラの発展的解消という名目で、「パリ管弦楽団」に名前が変わりました。団員も2/3が入れかわりました。当時のパリ音楽院管弦楽団はフランス人にありがちな「ルーズ」なオーケストラだったようです。しかし名手揃いでしたので、ここぞという集中力を発揮するとものすごい名演奏が生まれるオーケストラでした。特にアンドレ・クリュイタンス指揮の、ラヴェルの「ボレロ」「クープランの墓」、ビゼーの「カルメン組曲」「アルルの女組曲第1番、第2番」などは、まさにフランスの香り高い名演奏です。

 

「ルクエテマスターVol.1」で紹介した、プレートル指揮のサン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」もパリ音楽院管弦楽団の演奏です。この演奏は私がクラシック音楽にハマるきっかけになった思い出の演奏です。当時はもちろん演奏者なんか全く知りませんでした。ただ、安いCDを購入したら、これが素晴らしい演奏だったのです!世間一般ではデュトワ指揮モントリオール交響楽団の「オルガン付き」が高評価でしたが、私の感性には全く響きませんでした。

 

その後もいろいろなCDを購入しましたが、このプレートル指揮の演奏を超えるものはありませんでした。とにかくオルガンがとても良い音なのです!荒々しく、神々しく、まさに帯のコピーの通り「しみわたるオルガンの響き」を体現しています。さらに驚くべきはパリ音楽院管弦楽団の熱演です!フランスのオーケストラとは思えない嵐のようなフォルテッシモでは、弦楽器がバチバチと汚い音を立てるほど演奏に没頭しています。管楽器と弦楽器が少しズレている部分さえ、この「オルガン付き」にマッチしていると思わせるほどです。とにかく私の感性にピッタリの演奏なのです。このCDのおかげで、私はますますクラシック音楽にのめり込んで行きました。記念すべきCDなのです。

 

閑話。フランスでは木管楽器の「ファゴット」の代わりに、同じような楽器である「バソン(バスーン)」を使用していました。もちろんパリ音楽院管弦楽団も例に漏れません。「バソン」はファゴットのような大きな音は出ませんが、暖かく素朴な音色が特徴のフランス独自の楽器です。バソンの音色もパリ音楽院管弦楽団の聴き所の一つでしょう。

 

閑話休題。1967年にフランス文化省大臣であったアンドレ・マルローによって、シャルル・ミュンシュを指揮者に迎えパリ管弦楽団は誕生しました。ミュンシュは傘寿近い高齢でしたが、発足間もないパリ管弦楽団でブラームスの「交響曲第1番」とベルリオーズの「幻想交響曲」の素晴らしい演奏を残してくれました。まさに不滅の名盤の名にふさわしい演奏です。ミュンシュはパリ管弦楽団発足直後のアメリカ演奏旅行中に客死していますので、まさに命をかけた演奏と言って良いでしょう。

 

今回はフランスのオーケストラの代表を取り上げましたが、次の機会にはまた別の国のオーケストラを取り上げてみたいと思います。

 

それでは今回はこれで!次回も乞うご期待!


ルクエテマスターの今日の演奏!Vol.17  2025/04/20


こんにちは!第17回目は、演奏は演奏でも、少し趣向を変えて「コンサートへ行こう!」をテーマにお送りします。


私はテレビで「開運!何でも鑑定団」を見るのが大好きです。この番組では子どものコレクションのような品から、一流の芸寿品まで多種多様な「お宝」が紹介されます。特に著名な作者の絵画など、新作か贋作かで一喜一憂する鑑定依頼人の姿が楽しいですね。


そんなときにふと思うのです、ホンモノの芸術品とは何か?と。絵画や焼き物はそれこそこの世に1つしかないものです。絵画については版画やリトグラフが「正式な複製品」としてそれなりの価値を持っているようです。でもやはりホンモノは世界でただ1つしかありません。だから有名な美術館に展示保存されているのだと思います。無論、個人収集家が高額な芸術作品を手に入れて、個人で楽しむ場合も多々あるかと思います。


では音楽の世界ではどうでしょうか?こんなにたくさんの名演奏のCDが世に出されてお手頃価格で販売されているのですが、これは真の意味で芸術作品なのでしょうか?私はCDは「録音」という名の芸術作品だと思っています。いくら素晴らしい演奏でも、録音技術がダメならその演奏の良さを聞き手に伝えることはできないからです。録音技術についてもまたの機会に取り上げたいと思います。


となるとホンモノの芸術品としての「音楽」は、やはりコンサートに行って聴くしかないのです。一期一会とはこのことです。名演奏に出会う確率は非常に低いですが、まずはコンサートに出かけなければその確率は永遠に0%です。


フルトヴェングラーやカラヤンの演奏を生で聴くことはもはや不可能ですが、現代で活躍する音楽家達の演奏を生で聴くことは可能です。前回取り上げた「別府アルゲリッチ音楽祭」などは、かなりの高確率で名演奏を聴くことができるチャンスだと言えましょう。


それに加えて、名演奏の定義を「不滅の名演奏」からずっとハードルを下げて、とにかく「ああ聴いて良かった!」と思える演奏であればもう十分です。私などは、大学オーケストラをはじめとするアマチュアの演奏会に足を運び、「ああ、来て良かったな!」と思えればそれで名演奏です。過去の巨匠ばかりがもてはやされる風潮には、ある意味辟易としたところがあるのも事実ですしね。


そういう意味で、私が聴いたこの10年間の間で一番良かったコンサートは、ケント・ナガノ指揮、九州交響楽団のコンサートです。プログラムはハンブルク・フィルのコントラバス奏者作曲「YAMAGA」、モーツァルトの「ヴァイオリンとヴィオラのための二重協奏曲」、マーラーの交響曲第1番「巨人」でした。


まさかと言っては失礼すぎますが、九州唯一のプロオーケストラである九州交響楽団から、これほどまでに情熱的な素晴らしい演奏を引きだしたケント・ナガノ氏にはもう脱帽するしかありません。こんな素晴らしい「巨人」は、私のベストCDであるアバド指揮、シカゴ交響楽団の演奏を遙かにしのぐ感動を与えてくれました。ここまで素晴らしい演奏だと、クラシック音楽のことを知らない人にでさえも「今何か凄いことが起こっている!」と感じさせたのではないでしょうか?正直、NHK交響楽団だってこんな演奏は無理だと思います。ケント・ナガノ氏はまた熊本でコンサートをする予定があるそうです。是非皆様、お聴き逃しの無きよう!


あと熊本で聞き逃せないのは、元NHK交響楽団の第一コンサートマスターである篠崎史紀氏のコンサートです。篠崎氏は権威主義の日本では定番である音楽大学を卒業していません。若くして単身音楽の本番ウィーンで切磋琢磨して、数々のコンクールで入賞した異色のヴァイオリニストです。ウィーン留学中にその風貌から「マロ」と呼ばれ、今でも「マロさん」の愛称で呼ばれる素晴らしいヴァイオリニストです。音大を卒業せずNHK交響楽団の第一コンサートマスターまで上り詰めたのは、マロさんが初めてではないでしょうか?


マロさんの音楽は、とにかく表情が豊かです。子どもからクラシック音楽通まで通用する、素晴らしい音楽性の持ち主です。加えて飾らないお人柄が、人間的な深みと温かみを感じさせてくれます。マロさんは数年に1回は熊本でコンサートをされていますので、こちらも是非コンサートに足を運んでください!一発でファンになることを保証します!


絵は後世に残りますが、音楽は生まれた瞬間に消えてしまいます。録音は先に述べたとおり、あくまで録音です。生のコンサートの全てを記録することなんてどだい無理な話です。だから私はコンサートに足を運ぶのです。それもチケット代が5000円以下の安いコンサートばかりです。それでもコンサートに行くときはわくわくします。どんな感動が待っているかわからないからです。皆様も是非、コンサートに足を運んでください。人生が変わるくらいの感動があるかもしれませんよ!実際、私は人生が変わりましたので!


それでは今回はこれで!次回も乞うご期待!

ルクエテマスターの今日の演奏!Vol.16

ルクエテマスターの今日の演奏!Vol.16  2025/04/12


こんにちは!第
16回目です。今日のお題は初心に返って演奏を取り上げます。しかしただの演奏ではありません。これまでは既に物故した音楽家の演奏ばかりでしたが、今回はまさに円熟した存命の音楽家の演奏です。ただし!この連載の趣旨から、メジャーな曲では無いことをあらかじめお断りしておきます。


その音楽家は、ピアニストのマルタ・アルゲリッチとヴァイオリニストのギドン・クレーメルです!曲目はメンデルスゾーンの「ヴァイオリンとピアノのための二重協奏曲」です!この曲はその昔私がアマチュアオーケストラで、なんと当時ベルリン・フィルの第一コンサートマスターであった安永徹さんと奥様の市野あゆみさんと共演した思い出の曲です。


ベルリン・フィルのコンサートマスターと共演できるなんて恐れ多いにもほどがありますが、若かった私はもう一生懸命練習し、曲の勉強をしました。曲自体マイナーな曲でしたので、CD2種類しか手に入れることができませんでした。その一つが今回ご紹介する、アルゲリッチとクレーメルの演奏なのです。


クラシック音楽の否定的な評判と言えば、とにかく気位が高く、高尚な芸術と捉えられているところだと思いますが、アルゲリッチとクレーメルはそのような枠から飛び出したような天衣無縫な音楽家です。とにかく自己主張が強く、しかもそれが聴くものの心を打つので、まさに丁々発止の演奏です。この2人を支えるオーケストラは、オルフェウス室内管弦楽団で、このオーケストラは指揮者を置かないことで有名なオーケストラです。つまり演奏者みんなが自分の音楽を持っており、なおかつメンデルスゾーンの意図を理解して高度なアンサンブルの賜がこのCDなのです。


正直、私はこの演奏を聴くまではオーケストラ曲ばかり聴いていましたし、ピアノ演奏なんてつまらないとすら思っていました。ヴァイオリンの曲も同じでした。しかしこの2人の演奏を聴くことで、そのような概念が吹き飛びました。全体のアンサンブルを壊さないように、かつ自分のメロディーは思う存分輝く演奏を行うという離れ業をこの2人とオーケストラはやってのけているのです。有名でない曲は曲が悪いわけでは無く、演奏が良くないからだと実感しました。


さて、最初にこの2人は存命だとご紹介しましたが、クレーメルはともかくアルゲリッチは、なんと「別府アルゲリッチ音楽祭」という音楽祭で生の演奏を聴くことができます!大分は別府まで行けば、アルゲリッチの素晴らしい演奏を聴くことができるのです。今年も開催されます。現在のところ著名なチェリストであるミーシャ・マイスキーがゲストであることが発表されています。


私もずいぶん通っていますが、これまでの演奏の中で特に名演奏として記憶に残っているのが、先ほど物故したヴァイオリニストのイヴリー・ギトリスとアルゲリッチが共演したベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第13番「クロイツェル」です。今まさに目の前で歴史に残る名演奏が生まれているという高揚感で、一時も目を離すことができませんでした。息をのむような瞬間とは、まさにこのことを言うのでしょう。それが証拠にこの演奏は大手レコードレーベルEMIから「奇跡のライブ」としてCD化され、ベストセラーになりました。自分が生で聴いた演奏がCDになって発売されるなんて、夢のような体験です。このCDは私の宝物です。


ウィーン・フィルもベルリン・フィルも今年は来日公演を行いますが、大都市のみです。しかもプラチナチケットです。おいそれと手が出せるような金額ではありません。しかし「別府アルゲリッチ音楽祭」のチケットは、アルゲリッチの演奏を生で聴くことができることを考えれば、破格の値段だと思います。まずはネットでアルゲリッチの演奏を聴いて、それから「アルゲリッチ音楽祭」にお出かけしてみてはいかがでしょうか?まず損をすることはないと思います!


それでは今回はこれで!次回も乞うご期待!



ルクエテマスターの今日の演奏!
Vol.15  2025/04/07


こんにちは!第
15回目は、現代でも大人気の「コラボ(コラボレーション)」にスポットを当てたいと思います。現代では、音楽と絵画、マンガと商品など様々なコラボ企画がありますが、200年前にもコラボがクラシック音楽にはありました。


そのコラボは、物と物ではありません。アーティスト同士のコラボなのです。それも、モーツァルトとベートーヴェンのコラボという、もう夢のようなコラボです!


モーツァルトの作品にピアノ協奏曲第
20番があります。モーツァルトの時代(古典時代と言います)では、ある楽器とオーケストラの共演である協奏曲にはある暗黙の了解がありました。この時代の協奏曲には「カデンツァ」と言って、オーケストラはお休みして「ソリストが即興で自分のテクニックの全てを見せつける」という部分がありました。


そのモーツァルトのピアノ協奏曲第
20番を、ベートーヴェンは大のお気に入りだったのです。あまりにも好きすぎて当時の暗黙の了解を破って、自分でカデンツァを作曲して演奏したのです。


ベートーヴェンはピアノの名手でもありましたから、最初は自分のためのカデンツァだったのかもしれませんが、現代でこのモーツァルトのピアノ協奏曲第
20番が演奏されるときは、ほとんど全てベートーヴェンのカデンツァが使用されます。


ちょっと脱線しますが、私が最近知った概念で「ミーム」というものがあります。「ネットミーム」とかの使用法があるようです。生物学において自分の遺伝子を残すことは生物の本能ですが、ミームは脳から脳への「記憶の遺伝子」を残すことなのです。


このミームのおかげで私たちは、
200年も前のモーツァルトやベートーヴェンの名曲を受け継いできたのです。もちろん楽譜があるからという事実が根底にはありますが、人気のない曲はたとえ楽譜が残っていても見向きもされません。その点、現代でも私たちが知っているモーツァルトやベートーヴェンやその他有名作曲家の作品は、ミームという観点からも200年間生き残ってきた名曲揃いな訳ですね。


閑話休題。こうしてモーツァルトとベートーヴェンの夢のコラボが実現したモーツァルトのピアノ協奏曲第
20番は、その成り立ちからも特別人気のある曲のように思われます。皆様もネットで検索して、夢のコラボを楽しんでくださいね!ちなみにカデンツァは第1楽章と第3楽章にありますので、その楽章だけピックアップすると良いでしょう。


仲間はずれはかわいそうなので第
2楽章について言及しますと、モーツァルトの生涯を描いた往年の名作映画「アマデウス」のエンドロールで使用された、しっとりとした名曲です。3つの楽章がここまで粒ぞろいなのも、名曲と言われる所以でしょうね。ただ個人的には映画「アマデウス」はセリフが英語だったので、ドイツ語のモーツァルトの歌曲などはものすごく違和感がありました(^_^)!それでもマリナー指揮アカデミー室内管弦楽団のサウンドトラックは素晴らしいできばえで、殊に交響曲第25番の第1楽章冒頭の迫力は鬼気迫るものがあります。


それでは今回はこれで!次回も乞うご期待!



ルクエテマスターの今日の演奏!
Vol.14  2025/04/01


こんにちは!第
14回目は、曲ではなく、前回触れたシューベルトとメンデルスゾーンに焦点を当てたいと思います。シューベルトはもちろん天才作曲家だったのですが、音楽史上ではおそらくもっとも不遇な作曲家ではないか?メンデルスゾーンはその対極ではないか?と私は思っているからです。


ベートーヴェンと同時代を生きたシューベルトですが、ベートーヴェンの後を追うようにわずか
31歳で夭折してしまいます。性格は弱気で内気。ベートーヴェンとは正反対です。しかし現在、彼は「歌曲の王」と呼ばれています。私も小学校で「魔王」や「のばら」「ます」を聴いて、ドキドキした記憶があります。小学生の感性にも触れる歌を、シューベルトは数多く残したのです。


優しい性格のシューベルトは幼少の頃から音楽学校での寮生活を送り、年に一度の実家への帰省を楽しみにしていたそうです。作曲の手ほどきを受けたシューベルトは、早速弦楽四重奏曲を書いて、毎年の実家へのお土産にしたそうです。シューベルトの一家も音楽一家で、家族で弦楽四重奏を楽しむためでした。しかも彼は、あまりビオラが上手ではなかった父親のためにわざとビオラパートを易しく作曲したと言います。泣かせるエピソードですね。


人付き合いが苦手だったシューベルトは、成人してからも苦労の連続でした。自分を上手く売り込むことができないため、常に友人が力になったと言います。それでも生活は苦しく、借金の連続だったようです。それでも交響曲を
8曲作曲し、特に第7番「未完成」と第8番「ザ・グレイト」は素晴らしい傑作です。「歌曲の王」は交響曲の分野でも才能を発揮していたのです。


一方のメンデルスゾーンですが、音楽評論家
S氏の表現を借りると「ゆけどもゆけども、バラまたバラ」の人生でした。概して18世紀までの美術その他を含む芸術家は金銭的な苦労を抱え込むことが多かったと思いますが、メンデルスゾーンは例外中の例外でおよそ金銭的な苦労とは無縁の人生でした。


実業家でもあったメンデルスゾーンはシューマンをはじめとする若手音楽家の育成にも精力的に活動し、音楽院の設立資金の調達に奔走したと言います。しかしながら享年
38という夭折の原因は、最愛の姉が亡くなったことによる精神障害が原因だったそうですので、メンデルスゾーンがいかに姉に対して思慕の念を抱いていたかがうかがえます。


メンデルスゾーンといえば
5曲の交響曲のうち、特に第3番「スコットランド」第4番「イタリア」が特に有名です。しかしメンデルスゾーンといえば「メンコン」の知名度が圧倒的ではないでしょうか?メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調の日本での略称ですが、ベートーヴェン、ブラームスのヴァイオリン協奏曲とあわせて「3大ヴァイオリン協奏曲」と呼ばれているほどの名曲です。特に第1楽章冒頭から始まるソロヴァイオリンの切ないメロディは、一度聴いたら忘れられないくらいの素晴らしいものです。あと小曲ですが、劇付随音楽「夏の夜の夢」の「結婚行進曲」も忘れてはならない人気の曲ですね。


今回は趣向を変えて
2人の対照的な作曲家にスポットライトを当ててみました。取り上げた曲は名曲揃いですので、是非ネットで聴いてみてください。


それでは今回はこれで!次回も乞うご期待!



ルクエテマスターの今日の演奏!
Vol.13  2025/03/23


こんにちは!第
13回目の曲は、モーツァルトの弦楽四重奏曲第17番「狩り」とシューベルトの交響曲第8番「ザ・グレイト」です。今回のテーマは「ブリッジ」に注目したいと思います。「ブリッジ」は、序奏からメインへ、AパートからBパートへといった具合に「音楽の引き継ぎ部分」と定義しましょう。


ここで大事なのは演奏者です。もちろん作曲家の楽譜こそが絶対的基礎にあるわけですが、それをどのように演奏するかによって音楽の盛り上がりが全く変わります。モーツァルト、シューベルトの時代には録音がなく、生演奏こそ唯一の表現方法であったわけですから演奏者に重要な責任が発生します。


そこを上手くやった演奏録音のご紹介です。モーツァルトの「狩り」は、スメタナ弦楽四重奏団(スメタナ
SQ)。シューベルトの「ザ・グレイト」は、ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団がとにかく素晴らしいのです。


スメタナ
SQの演奏のどこがスゴイかというと、「狩り」の第1楽章の前半の繰り返しが終わり中間部に入るほんの一瞬の部分です。「弦楽四重奏」なわけですから、4人の呼吸がぴったり合わなければ良い演奏は生まれません。その点、繰り返しから中間部への「ブリッジ」をスメタナSQは天国的な美しさで表現しています。


 
一方のワルターですが、オーケストラという数十人をドライブする指揮者ですから、弦楽四重奏曲とは別の難しさがあります。シューベルトの「ザ・グレイト」は第1楽章の序奏から主部に入るまでの「ブリッジ」の高揚感がこれまた天国的な美しさです。主部に入った瞬間の劇的な音楽の変化も特筆ものです。そもそもコロンビア交響楽団がワルターのために結成されたオーケストラなので、ワルターとコロンビア交響楽団は長年連れ添った夫婦のごとく素晴らしいコンビだと言えるでしょう。


余談ですが、「ザ・グレイト」をあるアマチュアオーケストラが演目にしたときに、団員の一人が「同じ事の繰り返しで、つまらない」とこぼしていたことを思い出します。その言葉を耳にした私は「わかってないなあ」と思いました。確かに「ザ・グレイト」は
4つの楽章とも主要な主題の繰り返しが顕著です。特に第4楽章は「これでもか!」というくらい同じ主題が繰り返されます。


しかしながら、やはり他の天才作曲家はわかっていたのですね。「ザ・グレイト」を楽譜通りに演奏すると約
1時間かかるのですが、シューマンはこの曲をジャン・パウルの小説に例えて「天国的な長さ」と表現しています。私も全く同感です。


 
実はシューベルトは作曲に興が乗ると無意識に同じ主題を繰り返し出してしまうという「癖」があったようなのです。他の名曲でも交響曲第7番「未完成」やピアノ五重奏曲「ます」でも、シューベルトは同じ主題を繰り返し出しています。そしてこれらの曲は、シューベルトの代表作である名曲揃いです。シューベルトについてはまだネタがありますので、いずれ機会を見てご紹介したいと思います。


さあ、ネット検索して実際に確かめてみてください!なお「狩り」は演奏者の呼吸音までわかる録音です。これは人によって好みが分かれるところですが、私は呼吸音が入っている方が好きなので気になりません。でも無理にはオススメしませんので、ご了承くださいませ。


それでは今回はこれで!次回も乞うご期待!

ルクエテマスターの今日の演奏!Vol.12

ルクエテマスターの今日の演奏!Vol.12  2025/03/17


こんにちは!第
12回目の曲は、満を持しての登場となる、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」です!いわゆる「第九」です!なぜ今まで取り上げなかったのか不思議なくらい、超有名な名曲です。私がここまで「第九」を取り上げなかったのには明確な理由があります。


皆さんが初めてこの曲に接するのは、小学校で習う「よろこびの歌」だと思います。このあたりは前回のドボルザークと似ています。「第九」が表現したいのはまさに第
4楽章の「よろこびの歌」なのですが、私はその「よろこびの歌」に至る過程を知って欲しいからです。


簡単に曲の説明を。ベートーヴェンは同じドイツ人詩人シラーの「歓喜に寄す」という詩に若い頃から魅了されていました。いつかこの詩に自分で曲を付けたいという野望を持っていました。「運命」交響曲を作曲した頃からこの構想があったようですが、最終的には最晩年までかかって完成した、まさに産みの苦しみを経た曲なのです。


ベートーヴェンの意図は簡単です。「苦悩を経て歓喜に至る」というシラーの詩に、ベートーヴェンは自分の人生を重ね合わせていました。音楽家、作曲家でありながら一番大切な聴力を失い、一時は死を覚悟して遺書まで書いたベートーヴェンが、不屈の精神力でよみがえって見事に花を咲かせたのが「第九」なのです。この過程を込めたのが第
1楽章、第2楽章、第3楽章で、私たちがよく知る「第九」のクライマックスは第4楽章なのです。この構図を理解して欲しいと思います。


ベートーヴェンは第
1楽章から第3楽章までで「どうすれば歓喜の歌に至ることができるか?」を3つのパターンで示しました。そのどれもが第8番までの交響曲とは次元の違う高いレベルで、なおかつ希代のエンターテイナーであるベートーヴェンがその持てる力を全て注ぎ込んだ力作です。ですので、この3つの楽章はクラシック音楽初心者には少しハードルが高いと私は考えています。しかし、ここまで私の連載にお付き合いしていただいた皆さんなら、今こそ「第九」の真価に迫る事ができると信じています。


1楽章は「運命交響曲」と同じくらいの熱量を持っている、ベートーヴェンの交響曲中、屈指の名楽章です。漆黒の闇の中から静かに現れるメロディーが、ベートーヴェンが最初に描いた「よろこびの歌」なのです。ただし、少々激しすぎるきらいがあります。


2
楽章は、一般的な交響曲なら静かな「緩徐楽章」のはずですが、ベートーヴェですがその内容はンはあえてここに「スケルツォ」という舞踏曲を配置しました。踊りの曲非常にエネルギッシュで、中間部は牧歌的でもあり「田園交響曲」を彷彿とさせます。余談ですが、ベートーヴェンはこの楽章で史上初めてティンパニをソロ楽器として使用しました。その効果たるや抜群で、この楽章が目指す「よろこびの歌」の方向性がわかります。


3楽章はいわゆる静かな「緩徐楽章」で、静けさの中に秘めた確かな熱量が「よろこびの歌」を切々と歌い上げます。ここまで天国的な音楽があるだろうか?と誰もが思いますが、切ない余韻を残して曲は静かに終わります。


そして第
4楽章です!ここでベートーヴェンは、これまでの3つの楽章のメロディーを1つずつ出しては低弦(チェロとコントラバス)に「違う!これではない!」と否定させます。特に見事なのが第3楽章の否定です。低弦も第3楽章の甘美なメロディーには一瞬ひるんで流されそうになりますが、やはり「違う!」と否定します。私の好きな音楽評論家U氏の言葉を借りれば「この部分は音楽よりもむしろ文学に近い」です。


そしてようやく現れるのが、木管楽器によるおなじみの「よろこびの歌」のメロディーです。これまでの苦難を経た低弦も「これだ!これだ!」と嬉しそうに肯定します。ついに「歓喜の歌」にたどり着いた!かのように思われたところで、一転してまた嵐のような全楽器による否定!そしてバリトンが「おお友よ!そのような音楽ではない!」と否定し「私たちとともに歓喜の歌を歌おう!」と呼びかけて、シラーの「歓喜に寄す」をソプラノ、アルト、テノール、バリトン(バス)そして「合唱」が歌い上げるという誠にドラマティックかつ効果的な演出で、ベートーヴェンの長年の夢であった「歓喜に寄す」の交響曲が完成するのです。ちなみに交響曲に「声楽」「合唱」を史上初めて取り入れたのも「第九」です!


演奏ですが、実は奇跡のような名曲には奇跡のような演奏があり、フルトヴェングラー指揮のバイロイト祝祭管弦楽団のライブ録音が不動のナンバー
1です。この演奏はVol.2の「運命」と同様、フルトヴェングラーが戦後初めて世界的な音楽祭であるバイロイト音楽祭に復帰した記念すべきコンサートのライブ録音です。モノラル録音ではありますが、聴衆の異様な熱気と妙に生々しく楽器の音が捉えられた、音楽史に燦然と光り輝く残るコンサートの録音です。


そもそも「第九」は名曲過ぎて普通のオーケストラが演奏しても感動できますが、世界大戦後の初の平和の祭典であるバイロイト音楽祭での、それもフルトヴェングラー指揮の演奏ということで、名オーケストラの寄せ集めであるバイロイト祝祭管弦楽団からここまでの音楽を引き出すことができたのは、ひとえにフルトヴェングラーのカリスマ性に尽きるとしか言いようがありません。第
4楽章の最後はあまりの高揚のため猛スピードでオーケストラもついて行けなくなり唐突に音楽が終わってしまいますが、その後の聴衆の拍手喝采たるや、ベートーヴェンの初演もかくやと思わせるものすごい録音になっています。


余談ですが、クラシック音楽オタクの間でよく話題になる「無人島にたった
1枚だけCDを持って行くなら何にする?」がありますが、多くの人がこのフルトヴェングラーの「第九」をあげます。かくいう私もそうです。それくらいの圧倒的名演奏なのです。「第九」のCDをお持ちで無いなら、迷うこと無くこのフルトヴェングラーの「第九」をオススメします。


「第九」は名曲なので、つい長文になってしまいました。お許しくださいませ。


それでは今回はこれで!次回も乞うご期待!



ルクエテマスターの今日の演奏!
Vol.11  2025/03/11


こんにちは!第
11回目の曲は、ドボルザーク作曲の「チェロ協奏曲」です。なぜこの曲を選んだのか?それはブラームスのおかげです。ドボルザークをライバル視していたブラームスが、この曲の初演を聴いた感想は「チェロにこんな事ができるとわかっていたら、私が先に作曲していたのに!」という、悔し紛れの、しかしライバルに対する最大級の賛辞だったからです。


 
私たちがドボルザークの曲に初めて接するのは、おそらく小学校で習う「家路」もしくは「遠き山に日は落ちて」です。こちらは交響曲第9番「新世界より」の第2楽章に歌詞を付けたもので、小学生でも楽しく歌える素晴らしい曲です。


 
今回取り上げる「チェロ協奏曲」は、ドボルザークが故郷ボヘミアを離れ、アメリカで作曲した「交響曲第9番「新世界より」」「弦楽四重奏曲「アメリカ」」とあわせて、「アメリカ三部作」と呼ばれています。どれも素晴らしい名曲です。


「チェロ協奏曲」は、ハイドン以来のチェロ協奏曲として、ハイドンのチェロ協奏曲を上回るエンターテインメント性の高い、すなわちクラシック音楽のハードルが低い初心者向けの聴いて楽しい名曲です。「チェロってこんな凄いんだ!」と聴けば一発でわかる曲です。さすがのハイドンのチェロ協奏曲もここまでのエンターテインメント性は持っていないと個人的に思います。


私のイチオシの演奏は、ピエール・フルニエがチェロ独奏を弾いた、ジョージ・セル指揮のベルリンフィルハーモニー管弦楽団の演奏です。一般的にはロストロポーヴィチがチェロ独奏のカラヤンの演奏の評価が高いようですが、私は断然フルニエのチェロを推します。まあ、どちらの演奏も甲乙付けがたいというのが事実だとは思いますが。


「協奏曲」は一般的に
3楽章構成です。「急、緩、急」という3つの楽章から構成されることが多いです。ドボルザークのチェロ協奏曲は、この3つの楽章のどれもが色々な意味でとても高いレベルで作曲されています。どの楽章を取りだして聴いても「イイ!」のです!3つの楽章にムラが無いことは重要です。「第1楽章は良いんだけどね」なんて陰口をたたかれる曲のなんと多いことか!しかしドボルザークのチェロ協奏曲は、意地悪にあら探しをしても欠点が見つからないのではないか?というくらい完成度が高いと思います。


まずは誰の演奏でも良いので、ネットで検索して聴いてみてください。この曲を弾きこなせる技量を持ったチェリストの演奏であれば、期待を裏切ることはないと思いますので。なぜブラームスが上記のような誠に微笑ましい
(笑)感想を、地団駄踏んでライバルに送ったのかがわかると思います。


芸術家は音楽の分野に限らず、負けず嫌いが多いです。皆さんもお好きなアーティストの負けず嫌いなコメントを一度は耳にしたことがあると思います。私は高尚な芸術だと思われているクラシック音楽において、実はものすごく人間くさいドラマが隠れていることをこれからの連載でご紹介していきたいと思っています。


それでは今回はこれで!次回も乞うご期待!



ルクエテマスターの今日の演奏!
Vol.10 2025/03/03


こんにちは!第
10回目は趣向を変えて、「音楽における民主主義(クラシック音楽編)」について書きたいと思います。はじめにお断りを入れますが、いつもながら私の完全主観ですので、お気を悪くされたらすみません。さらに今回はイニシャルトークも入れていきますので訴えられるかもしれませんが、そのときは全力で謝罪する用意がありますのでお目こぼしをお願い申し上げます(^_^)


さて、良い曲とは何でしょうか?ヒットチャートで
1位になる曲?長年歌い継がれる曲?失恋したときに聴いた曲?人によって好みが分かれるはずです。至極当たり前のことです。


しかし、ランキングを付けたいのは古今東西人の性のなせる技でしょうか?ポップスからクラシックまで、いつの時代にもランキングというものは存在しました。今回はクラシック音楽について、ランキングの功罪という意味で「民主主義」を考えたいと思います。


日本のクラシック音楽の世界には、権威のある雑誌が
2冊あります。そのうち録音(CD)を批評する雑誌「R」について、私の実体験も含めて「民主主義の功罪」を述べます。雑誌「R」はレコードの時代から、多くの音楽評論家が数々の「録音」について批評してきた雑誌です。私も一時期購読していました。


貧乏学生時代、少しでも良い演奏を聴きたくて雑誌「
R」の評論家の批評を参考にしてCDを購入していました。その評論家の中にU氏がいました。U氏の歯に衣着せぬ自分の主張を前面に押し出した批評が私は大好きでした。私はU氏が「これぞ決定盤」というCDばかりを購入しましたが、確かにその演奏にはU氏の主張を裏付ける感動がありました。たまにハズレもありましたが(^_^)


その雑誌「
R」の別冊で、主なクラシック音楽のランキングを作る企画がありました。各評論家が手持ちの10点の点数を、1位から3位までの曲に振り分けてそれで多数決をとって「交響曲」「協奏曲」といった分野ごとにランキングを作るというものでした。


U
氏以外の評論家は、1位に5点、2位に3点、3位に2点というような「無難な」点数の付け方をしたのですが、U氏は1位に8点、2位と3位は1点ずつというような極端な点数の付け方をしていました。おかげでU氏が1位にした曲が点数を多く獲得し結果的にランキング上位に来るという事態になり、「U氏の好みが出過ぎている」という編集長の判断によりU氏の点数の付け方は不採用になりました。そして極めて「民主主義的」にランキングが作成されたのです。


私はこのランキングを信じて、チャイコフスキーのバレエ「白鳥の湖」全曲
CDを購入したのですが、全くの大ハズレでした!少しも感動できる箇所がありませんでした。そこで悟ったのです。「音楽において民主主義(多数決)は無意味だ」と。


ただし重要な補足をします。一見、上記のランキングの付け方は正しいように思われます。しかしこのやり方には「罠」があります。これまでの連載で取り上げた「絶対的名盤」という録音は存在しますし、圧倒的な得票点数によりその
CD1位になります。しかし「絶対的名盤」が存在しない曲の場合、「たまたま」評論家の好みが似ていたという理由だけで1位になってしまう曲もあるのです。前述の「白鳥の湖」はこの理由で1位になったのです。空虚な理由で1位になったのだから、演奏が空虚なのも仕方ないです。ただ、その時代の最先端の演奏スタイルであったとか、曲の本質とは関係ないところで評価されて1位になる曲があるのです。


ポップスだって同じです。演歌だって同じです。「絶対的名曲」が山のようにあります。このような曲は時代を超えて愛され、
Z世代からも支持されるのです。老若男女が時代を超えて支持する曲が、私たちの身近に確かにあるのです。そしてその曲がなぜ支持されるか?という問の答えは簡単です。「感動するから」です。だから令和の今でも、昭和の歌の特集が高い視聴率をとることができるのです。


クラシック音楽においても同じです。こちらは
200年以上の歴史があって、その中で生き残ってきた曲ばかりです。全てが名曲と言っても過言ではありません。ただし演奏によって曲の本質を捉えることができるか?がとても重要です。素晴らしい演奏によって名曲は光り輝くのです。


その昔、エジソンが「録音」を発明するまで、人々はその場限りのライブ演奏でしか曲の善し悪しを判断できませんでした。ランキングどころではありません。まさに「一期一会」でしか音楽を鑑賞することができなかったのです。しかし「録音」が発明されたことにより、名演奏が楽しめる「名盤」が生まれました。レコードに、そして
CDにより、今はストリーミングで「録音」や「ライブ」を楽しめる時代になりました。


最後になりますが、人の好みは様々なので、なるべく自分の感性に近いと思われる「口コミ」こそ「名盤」を手に入れるもっとも良い手段だと思います。私にとっての
U氏のような存在があれば、今までハードルが高くて手が出なかった分野でも聴いてみようかな?という気になります。


民主主義は重要ですが、こと音楽、および芸術一般において、それは重要ではないと私は思っています。多数決で選ばれた演奏が必ず自分の好みと一致することなどあり得ないと考えた方が良いと思います。もちろん参考にはなりますが、あくまで参考です。


またまた長くなってしまいました。「白鳥の湖」の恨みをキーボードにぶつけました
(^_^)


それでは今回はこれで!次回も乞うご期待!

ルクエテマスターの今日の演奏!Vol.9

ルクエテマスターの今日の演奏!Vol.9  2025/02/27


こんにちは!第
9回目はクラシック音楽における「絶対的名盤」について書きたいと思います。Vol.2でフルトヴェングラーのベートーヴェン交響曲第5番「運命」の歴史的名演奏を取り上げましたが、そのような「誰が聴いても感動する」演奏を「絶対的名盤」の定義とします。


実はクラシック音楽にはそのような「絶対的名盤」が数多く存在するのです。そこで今回は「ベートーヴェンの交響曲」有名どころの第
6番、第7番、第9番の3曲について、私が選んだ「絶対的名盤」をご紹介したいと思います。9曲全部は1回ではご紹介しきれませんし、この連載の趣向であり目的である「クラシック音楽のハードルを下げる」から逸脱してしまいます。また、第5番「運命」はVol.2で取り上げましたので割愛します。


では早速、第
6番「田園」です。この曲は初めて作曲者自身によって楽章に「名前」が付けられた世界初の「標題音楽」の交響曲です。第1楽章
「田舎に到着したときの愉快な感情の目覚め」、第二楽章「小川のほとりの情景」、第
3楽章「田舎の人々の楽しい集い」、第4楽章「雷雨、嵐」、第5楽章「牧歌、嵐のあとの喜ばしい感謝の気持ち」てな具合です。どうでしょう?「標題」を見ただけでイメージしやすいですよね?


フランスの政治家であり詩人でもあったロマン・ロランは「私はこの第
2楽章「小川のほとりの情景」を聴くとき涙を禁じ得ない。なぜなら作曲当時すでに聴力を失っていたベートーヴェンの心の中の「小川のほとりの鳥の鳴き声」の風景だからだ」旨の言葉を残しています。私自身もこの第2楽章が大好きで、私の葬式ではこの曲を流すよう家族にお願いしています。演奏は、ブルーノ・ワルター指揮、コロンビア交響楽団の演奏が最高です。特に害2楽章は絶品です。まさに「絶対的名盤」です。


次に第
7番です。こちらは「のだめカンタービレ」で平成時代に有名になったラッキーな曲です。もちろん4つの楽章の性格がはっきりしており、ベートーヴェンが意図した「大衆に届く音楽」を見事に体現しているからだと私は分析しています。


私は特に第
1楽章が好きです。ベートーヴェンの交響曲で好きな楽章をあげるならトップ3は確実です。1回聴いただけでわかるキャッチーなメロディーと、それを実現しているベートーヴェンの卓越した作曲技法が惜しげも無く積み込まれています。ちょっと難しい話ですが、第1楽章前半の繰り返しが終わってから始まる「展開部」が圧巻です。この部分は全て同じリズムだけで構成されているのに、それをそれと聴衆に気づかせないという魔法のような部分です。特にまた最初のメロディーに戻る部分は最高です。演奏は、カルロス・クライバー指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が「絶対的名盤」です。今日の3曲の中でもっとも新しく録音されたもので、音質が良いのも点数が高いです。


最後は、第
9番「合唱付き」です。第九です。ベートーヴェンの曲の中でも、突出して有名な名曲です。しかし、有名なのは史上初めて交響曲に声楽を取り入れた第4楽章です。3曲中2曲も史上初が入るベートーヴェンはやはり天才です。ただしパイオニアがあまりに素晴らしい曲を作ってしまったので後の作曲家を大いに苦しめますが、それはまた別の機会に。


この曲は「苦悩を経て大いなる歓喜に至る」という、耳が聞こえないベートーヴェンの人生において不屈の精神で名声を得た特筆すべき曲です。第
4楽章だけでなく、第13楽章でベートーヴェンは様々な「歓喜の歌」を模索して、それが開花するのが第4楽章なのです。ですので、第4楽章だけしか聴かないことは、真に第九を理解することができないと言っても過言ではありません。


初演の際、演奏が終わり大観衆が熱狂的な拍手喝采を指揮者のベートーヴェンに送っているのに耳が聞こえないベートーヴェンはそれに気づかず、ついに見かねたアルトの歌手がベートーヴェンを聴衆に振り向かせたそうです。そこで初めてベートーヴェンは最高の歓喜の渦の中心にいることに気づきます。何というドラマティックな光景でしょうか!想像するだけで鳥肌が立ちます。演奏は、ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮、バイロイト祝祭管弦楽団のライブ録音が最高です。特に第
3楽章は、これ以上の演奏は考えられないくらい素晴らしい演奏です。まさに「絶対的名盤」「不滅の名盤」と呼ばれる所以です。


フルトヴェングラーの第九については、書き足りないですのでまたの機会に。


それでは今回はこれで!次回も乞うご期待!



ルクエテマスターの今日の演奏!
Vol.8  2025/02/23


こんにちは!今回は「アニメの音楽」です!「アニソン」も含みますが、あるアニメの音楽にスポットを当てたいと思います!



そのアニメは高畑勲さん演出の「赤毛のアン」です!昭和のアニメなので知らない方も多いと思いますが、4月から
Eテレで「アン・シャーリー」という「赤毛のアン」の新作が始まるそうですので、タイムリーな話題かと思います。


児童文学としては世界的にメジャーな「赤毛のアン」ですが、子ども時代に触れる機会があった方は意外に少ないのではないでしょうか?私自身、出会ったのは高校時代の再放送でしたから。



あらすじは、カナダの実在するプリンスエドワード島の架空の村、アボンリーのとある農家に引き取られた孤児のアンが、持ち前の前向きな明るさで引き取り先の農家のマシュウとマリラ兄妹の冷え切った心に光を与え、終生の友人ダイアナと共に夢を語り、ある事件でライバルになったギルバートと学業に切磋琢磨する、現代の子ども達と全く変わらない青春時代を送る様を、原作者モンゴメリーが実に精緻な文章で綴っています。



ちょっと脱線しますが、私はアニメで「赤毛のアン」に魅了されたので、正直原作本のあまりにロマンティックすぎる表現は難しく感じたのですが
()


とにかくアニメの「赤毛のアン」です。高畑勲さんと途中までですが宮崎駿さんがタッグを組んだ「世界名作劇場」でしたから、現代の私たちからは「夢のタッグ」と言って良いでしょう。



さらに本題の音楽です。音楽担当は毛利蔵人さんで、素晴らしい仕事をなさっています。しかし、それをさらに引き立てているのは三善晃さんのオープニング「きこえるかしら」とエンディング「さめない夢」であることは間違いありません!私個人的に「世界名作劇場」屈指の名曲だと思います。



アニオタ情報ですが、主役のアンの声優を争ったのは、山田栄子さんと島本須美さんです。最終的に高畑勲さんが山田栄子さんに決められたそうですが、島本須美さんは相当悔しかったらしく、宮崎駿さんの初監督作品「ルパン三世カリオストロの城」で見事クラリス役を勝ち取りました!島本須美さんのサクセスストーリーの影には「赤毛のアン」のリベンジがあったのですね!



また私の勝手な推測ですが、ディズニーに影響を受けたと思われる日本コロムビアが「コロムビア交響楽団」を結成して、主に東映動画(東映アニメーション)の作品の劇伴音楽を演奏しているので、ハリウッドばりのオーケストラによる伴奏と
BGMは、本作のみならず「キャプテンハーロック」「銀河鉄道999」にも受け継がれた東映アニメーションの良き伝統であると思います。


また脱線しましたが「赤毛のアン」は素晴らしい主題歌と
BGM、そしてこだわりの高畑勲さんの素晴らしい演出と映像によって、「赤毛のアン」の世界を最も原作に忠実に映像化した作品、と世界的にも高い評価を受けています。


私が好きな
BGMは、次回予告で流れる「乙女のメヌエット」です。この曲を全曲通して聴きたかったので「赤毛のアン」のBGM完全版を購入したほどです!そこには予想をはるかに超えた素晴らしい音楽がありました。ついでに言うと、私がアニメーションでDVD全集を持っているのは「赤毛のアン」だけです!


ぜひオープニングとエンディングだけでもネットで聴いてほしいと思います。



またまた感情のおもむくままに筆を走らせたので、長文になってしまい申し訳ありません。


それでは今回はこれで!次回も乞うご期待!




ルクエテマスターの今日の演奏!
Vol.7  2025/02/18


こんにちは!第
7回目はNHKの大河ドラマの主題曲を2曲ご紹介です!前回がゴリゴリのクラシック音楽だったのに、我ながら振り幅が大きいと思います。でも私はいろんな音楽が好きで、一過言申したいので仕方ないです。皆様に楽しんで頂けるように頑張ります!


大河ドラマの主題曲と言えば、皆様それぞれお好きな曲があるかと思います。今回は私が「これが好きだよ」というレヴューですので、軽く読み流して頂いてけっこうです。決して押し付ける気は毛頭ありませんので、誤解なきようにお願い申し上げます。


私が好きな大河ドラマの主題曲の
1つ目は「いのち」です!大河ドラマ唯一のフィクション、モデルとなる歴史上の人物がいない、橋田壽賀子さんのオリジナルドラマです!坂田晃一さんの作曲です。


この主題曲の何が好きかと言って、ピアノとヴァイオリンソロのせつないメロディーをオーケストラがバックで支えている点です!このドラマは、三田佳子さん、伊武雅刀さんが演じる夫婦の怒濤の物語なのですが、主題曲のヴァイオリンとピアノがまるでお二人の物語にピッタリ寄り添っていて、曲としての完成度以上の感動があります。


主題曲は例によって
NHK交響楽団なのですが、この時代のヴァイオリンソロはおそらく徳永二男さんだと思います。現在でも宮崎国際音楽祭のプロデューサーとして演者として精力的に活動されている方ですが、N響のソロコンサートマスターという最高の役職で長年N響をリードされた方です。そのヴァイオリンソロの素晴らしいこと!


ぜひネットで聴いてもらいたい
1曲です!


そして
2つ目は「山河燃ゆ」の主題曲です!このドラマは山崎豊子さんの「二つの祖国」をドラマ化したもので、戦中戦後の日本とアメリカに引き裂かれた、松本幸四郎さんと西田敏行さんの演じる兄弟の物語です。林光さんの作曲です。


主題曲の冒頭に「祖国は緑なる山河 あたたかくもやさしき母なる大地」のテロップが流れると、もう涙腺崩壊です
()!その後、勇壮なAパートから柔らかなBパートを経てクライマックスに突入する、大河ドラマお馴染みの展開ですが、毎回物語を見て行くうちに「いのち」同様にドラマと主題曲のシンクロがものすごくて、このドラマにこの主題曲あり!と勝手に思っています。


こちらもぜひネットで聴いてもらいたいです!


最後に、今回の
2曲はあくまでもルクエテマスターの趣味ですので、アンケート的なランキングをつけるものではないことを強調しておきます。曲の好みなんて十人十色なのですから。


気持ちが入ると長文になりますね。申し訳ありません。


それでは今回はこれで!次回も乞うご期待!




ルクエテマスターの今日の演奏!
Vol.6  2025/02/14


こんにちは!第6
回目は、クラシック音楽です!というより、オーケストラのお話しです。ちょっと脱線気味かもしれませんが、お付き合いいただければ幸いです。


唐突ですが、私は世界のオーケストラの中でウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が一番好きです。そのきっかけになった曲についてのお話をします。


それは、レナード・バーンスタイン指揮のシューマンの交響曲第
4番です。聴き所は第3楽章と第4楽章のほとんど最後の部分です。


まず曲についてですが、私もほとんど知りません
(^_^)!交響曲第1番「春」と同時期に作曲されたが、楽譜の出版の順序の関係で「第4番」になったそうです。知識なんてこんなもので良いです。肝心なのは曲がどうか?ですから。


このバーンスタイン指揮のシューマン交響曲第
4番は、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団がいかに素晴らしいオーケストラであるかを私に教えてくれました。これはいろいろな条件が重なって、偶然生まれた「録音」ですから。


その条件とは、①バーンスタイン指揮であったこと、②ライブ録音であったこと、の
2点が大きな要素だと思っています。


まず①について、バーンスタインは当時カラヤンと人気を二分するほど有名でしたが、その演奏録音は、同じドイツ・グラモフォンレーベルでしたが明らかにベクトルが違っていました。カラヤンはホールの残響のある多少メロウな録音がお好みだったようですが、バーンスタインはデッドに細部の音が聞こえる録音が多いように思います。


そして②ですが、バーンスタインの好みだと思うのですが、シューマンの交響曲第
4番にはヴァイオリンとチェロのソロのメロディーがあり、私の勝手な推測ですが、ライブ録音だったので録音スタッフがヴァイオリンとチェロのソロがよく録音できるようにサブマイクを設置したようなのです。


そのおかげで、他の指揮者のシューマン交響曲第
4番とは全く異質な演奏録音になりました。他の演奏CDでは聞こえない音がバーンスタインの録音からは明瞭に聴こえてくるのです。多分そのおかげで、この演奏CDの評価は不当に低いものになっていると私は思っています。要はバランスが歪だというのですね。


しかしこの歪な録音が幸いして、私はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が一番好きになりました。まさに「怪我の功名」とはこのことです。


具体的には、第
3楽章では3拍子で激しいAパートと穏やかなBパートが繰り返されるのですが、Bパートでチェロとコントラバスは3拍子の時は「ズンチャッチャ」の「ズン」を担当するのですが、この「ズン」のチェロが死ぬほど美しい音なのです!マイクが近いのではっきりと聴き取れます。私はこれにやられました!(^_^)


ヴァイオリンが上手いオーケストラは結構ありますが、チェロが上手いというオーケストラの評判は聞いたことがありません。チェロとコントラバスをまとめて「低弦パート」と呼ぶのですが、「低弦パート」が上手いというオーケストラはあります。だけど、チェロが上手い!という事がわかるのはこの演奏で特筆すべき事です。


そして第
4楽章のほとんど最後に、一瞬どの楽器も休んで音が無い瞬間が2回あります。その2回目にヴァイオリンが1/16拍だけ飛び出して演奏する箇所がありますが、これが本当に絶妙な「飛び出し」で、初めて聴いたときは「ヴァイオリンのフライングか?」と本気で思いました。だって、他の指揮者の演奏では聞こえない音でしたから。しかし楽譜を確認すると、確かにヴァイオリンだけ「飛び出す」ように書かれています。シューマンの意図を最大限にくみ取っているほとんど唯一無二の演奏がこの演奏なのです。


他にも至る所でチェロがどういう音を弾いていることが明瞭にわかる演奏が、この演奏です。シューマン交響曲第
4番はチェロが超絶技巧を要する曲だということがはっきりわかります。ネット検索して、その部分だけを取り出して聴いてみてください。他の演奏を知らなくてもどれだけウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のチェロパートが上手いのかがわかるはずです。


少々長文になり、申し訳ありませんでした。


それでは今回はこれで!次回も乞うご期待!

ルクエテマスターの今日の演奏!Vol.5

ルクエテマスターの今日の演奏!Vol.5  2025/02/11


こんにちは!第
5回目は、またクラシック音楽に戻ります!あー!わからない!ハードル上がったー!などネガティブ思考は捨てて、私にだまされたと思ってお付き合いください!まあこんな場合大体だまされるんですけどね(^_^)


今日はベートーヴェンです。ベートーヴェンは素晴らしいプロデューサーで、いつもお金儲けのことを考えていました。一方で天才でしたから自己芸術の追究にも余念がありませんでした。当時はまだまだ貴族という特権階級が庶民を支配していましたので、ベートーヴェンはそのどちらにもエンターテインメントを提供しようと思いました。


具体的に言うと、音楽のたしなみを持つ貴族には自分の芸術性を前面に押し出した「ピアノソナタ」「ヴァイオリンソナタ」「弦楽四重奏」をぶつけ、庶民には大衆受けする「交響曲」「協奏曲」をぶつける作戦をとりました。この作戦は大成功で、現代でもベートーヴェンを聴くならまずは「交響曲」から、というのがとても楽しくわかりやすいと思います。「のだめカンタービレ」でもベートーヴェンの交響曲第
7番(通称ベト7)でとても盛り上がりましたね。


しかし!あえて今日は「弦楽四重奏」で行きます!単純に私がもらった感動を皆様にお届けしたいからです
(^_^)!その曲は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第9番「ラズモフスキー第3番」の第4楽章です!


この曲は先に紹介したとおり「貴族向け」の多少難解な曲なのですが、そんな理屈なんかどこかに飛んでしまうくらいエキサイティングな曲です。聴けば一発でわかります。小難しい内容なんて考える暇も無いくらいの絶大なインパクトがあります。


簡単に曲の紹介をすると、ベートーヴェンが貴族の「ラズモフスキー伯爵」に献呈した、弦楽四重奏曲第
7番~第9番の3曲が「ラズモフスキー第1番~第3番」と呼ばれています。その3曲目のフィナーレである第4楽章です。


この曲は「フーガ」の技法で作曲されています。「フーガ」なら、バッハの「小フーガト短調」を小学校で聴いた方もおられるかと思います。要するに同じようなメロディーが、これでもか!と言うくらい何回も出てくる音楽です。弦楽四重奏曲ですので
4つの楽器(ヴァイオリン×2、ビオラ、チェロ)で演奏されます。


私がこの曲を初めて聴いたのは、学生オーケストラの後輩の家で「先輩、これスゴイですよ!」と言われて聴きました。ジュリアード
SQString Quartets、弦楽四重奏団)のアメリカ国会図書館でのライブ演奏でした。その演奏に「なに?コレ!」と一発でやられてしまいました。ものすごい衝撃でした。こんな曲がこの世にあるのか?と思いました。その曲を大学の研究室の同期に聴かせたら、ものすごくビックリしていました。その後彼はクラシック音楽にのめり込んでいくのですが(^_^)


別にジュリアード
SQでなくて良いです。この曲を演奏できるレベルの四重奏団なら、まずハズレはありません!ネットで「ラズモフスキー第3番」で検索すれば、すぐにヒットします。曲自体5分くらいの短い曲です。そこにものすごい宇宙が詰まっています(言いすぎ?)。是非聴いてください!


それでは今回はこれで!次回も乞うご期待!


ルクエテマスターの今日の演奏!
Vol.4 2025/02/07


こんにちは!第
4回目は、アニソンです!これまでのクラシック音楽からグッとハードルが下がったと感じられる方もいらっしゃるでしょう。しかしながら私もいい歳なので、正直得意なのは昭和のアニソンです。平成以降では「エヴァンゲリオン」までが限界です。ですので、お若い読者の皆様には相変わらずハードルが高いのかな?と思いつつ、ネットの力を信じていきたいと思います。


今回のこだわりは「伴奏」です!「ゲッターロボ」と「あしたのジョー」から「力石徹のテーマ」を取り上げます。


この
2曲ともジェンダーフリーの世の中で言うのも何ですが、男の魂を揺さぶるようなパワーにあふれており、「ゲッターロボ」はささきいさおさん、「力石徹のテーマ」はヒデ夕樹さんのパワフルなシャウトが印象的な名曲です。その力強い歌声を支えているのが、今回のテーマ「伴奏」なのです。


まずは「ゲッターロボ」です。この曲は耳を澄まして聴かないとわからないかもですが、ストリングス(ヴァイオリン)がものすごく活躍しているのです。ささきいさおさんの歌声に寄り添うように、これ演奏できるの?どんな楽譜なの?という信じられないような伴奏を、ほぼ曲の全体連続して演奏されています。「ゲッターロボ」というロボットアニメの主題歌として、どこに出しても恥ずかしくない演奏に舌を巻いてしまいます。


一方の「力石徹のテーマ」ですが、こちらの「伴奏」の立役者はピアノです。前奏、サビ、後奏、すべてに渡ってジャズの調べのようにピアノがヒデ夕樹さんのシャウトを引き立てています。「あしたのジョー」の主題歌があまりにも有名なため、マイナーな曲ではありますが、是非とも聴いて確かめていただきたい!という曲です。


いつものようにネット検索すれば、すぐに聴くことができる曲ばかりです。できれば高音質バージョンで聴いていただければ、なおよろしいかと思います。昭和の時代は高度成長期で、子ども向けのアニメもとても充実していました。私の性格もアニメに多大な影響を受けている自覚があります。現代のアニメを卑下しているわけではありません。多感な時期に触れたものは、その後の人生に大きな影響を与えます。今若い皆様は、今のアニメから良きメッセージを受け取っていることでしょう。


それでは今回はこれで!次回も乞うご期待!




ルクエテマスターの今日の演奏!
Vol.3  2025/02/04


こんにちは!第
3回目は、ゲーム音楽です!皆様ご存じ「ドラゴンクエスト」シリーズから「交響組曲ドラゴンクエストⅣ」の中の「謎の城」を取り上げます!


故すぎやまこういち先生作曲の大ヒット
RPGゲーム「ドラゴンクエスト」シリーズのBGMは先生自身の手で編曲され、オーケストラによる「交響組曲」がCDリリースされています。


最初は「ドラゴンクエスト」第
1作目から「ドラゴンクエストⅤ」までがNHK交響楽団の演奏でCDリリースされたと記憶しているのですが、その合間に「ドラゴンクエストⅣ」をなんとロンドン・フィルハーモニー管弦楽団が演奏したCDがリリースされ、現在までロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏CDの方がメジャーではないかと思います。もちろんすぎやまこういち先生が指揮をする「自作自演」です。


そのロンドン・フィルハーモニー管弦楽団による最初の「ドラゴンクエストⅣ」の演奏は、
NHK交響楽団の演奏と比較すると、少なくとも私には別次元のような素晴らしい演奏に聴こえます。今回クローズアップするのはその中の「謎の城」という曲です。私はこの演奏で「ヴァイオリンとチェロの二重奏」の素晴らしさを知りました。


「謎の城」は冒頭からヴァイオリンによるソロ演奏で始まります。その合間にチェロが対旋律で二重奏(デュオ)になるのですが、私はそれまでは「ドミソ」のように
3つ以上の音が「和音」だと思っていたのですが「謎の城」ではヴァイオリンとチェロの「2音」で「和音」になっているのです!


正確にはヴァイオリンが
2本の弦で違う音を同時に出す「重音」になっているようなので「和音」が完成しているのかもしれませんが、私には2本の弦楽器でこのような豊かな「和音」を出すことができるのだ!と、初めて聴いたときの衝撃を忘れることができません。「和音」の美しさだけでなく、一聴するとぶつかり合う「不協和音」のようなデュオがまた気持ちが良いのです。こんな経験は初めてでした。是非皆さんもネットで聴いてみてください!NHK交響楽団の演奏と聴き比べをするのも楽しいと思います。


というわけで今回はこのあたりで!次回も乞うご期待!

 


ルクエテマスターの今日の演奏!
Vol.2  2025/01/31


こんにちは!第
2回目は、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」の第4楽章冒頭です。「運命」は皆さん小学校で聴きましたよね?冒頭の「ジャジャジャジャーン!」です!この部分はまた古いアニメの話で申し訳ないのですが、国産テレビアニメ第1号「鉄腕アトム」でアトムが起動するときのBGMに使われました。手塚治虫先生はクラシック音楽にも詳しかったのですね。


しかし!今回は第
4楽章の冒頭のお話しです。「運命」は第1楽章の「ジャジャジャジャーン!」があまりに有名で、実は他の部分は知らない人が多いのです。ベートーヴェンが作った曲なのですから、他の部分もものすごく素晴らしい音楽です。今回はその中でも特に第4楽章冒頭をクローズアップします。


なぜ第
4楽章冒頭なのか?理由は私がもっとも好きな「運命」の演奏が、他の演奏とあまりにも違うからです。その演奏は20世紀最高の指揮者、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーとベルリン・フィルの1947527日のコンサートのライブ録音です。この演奏の背景を簡単に説明します。


1947
年は第2次世界大戦終了の2年後です。フルトヴェングラーはドイツに残って演奏を続けたため、連合国から2年間の演奏禁止になりました。フルトヴェングラーは当時すでに世界的名声を得ており、ドイツ国民は彼の音楽に心酔していました。それが戦争のために2年間も演奏禁止となり、待ちに待ったフルトヴェングラーの復帰コンサートこそこの「運命」なのです。


敗戦国ドイツは日本と同様に、食料をはじめとする物資に困窮していました。しかしそれでも人々はコンサートのチケットを求めて長蛇の列を作り、中には自分の靴を差し出してチケットを求めたそうです。コンサートは開演前から異様な熱気に包まれ、フルトヴェングラーが登場すると超満員の聴衆から割れんばかりの拍手で迎えられました。ざっとこんな背景です。


さて、「運命」は第
3楽章と第4楽章が連続しています。切れ目がないのです。第3楽章最後で徐々に盛り上がって、そのまま劇的に第4楽章が始まります。このつなぎ目の部分(ブリッジと言います)は普通に演奏しても感動的なのですが、フルトヴェングラーの演奏はなんとブリッジ部分が他の演奏の3倍くらい長い時間をかけて、一瞬の絶妙な途切れのあと貯めに貯めたエネルギーを爆発させるように第4楽章が始まります。言葉にするとものすごく陳腐なのは承知ですが、聴けば一発でわかります。


「苦悩を経て大いなる快楽に至る」はベートーヴェンの曲にしばしば現れるパターンで、「運命」「第九」が有名です。この演奏はもちろんモノラル録音で、現代の録音に慣れた耳には聴き苦しいと思いますが、そんなハンディを超えてベートーヴェンの音楽が伝わってくる希有な名演奏です。ネットに転がっているはずですから、他の演奏と聞き比べてください。あまりの違いに驚くこと間違いなしです。


長文になり申し訳ありませんでした。次回も乞うご期待!です!



ルクエテマスターの今日の演奏!Vol.1  2025/01/26


ルクスエテルナは不動産事業の他に芸術振興も事業の
1つです。今回から新コーナーとしてルクエテ(ルクスエテルナ)マスターがオススメの演奏を趣味丸出しでピンポイントで語りたいと思います。
今日はクラシック音楽です。クラシック音楽は敷居が高い、興味が無いと思っているそこのアナタ!だまされたと思って読んでください!


1回目は、サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」の第4楽章冒頭です。この曲はTVアニメ「ルパン三世」で宮崎駿監督が演出した「死の翼アルバトロス」で使われました。


超巨大飛行艇アルバトロスが離陸するときに流れたこの曲は、子どもだった頃の私の心に突き刺さり「かっこいいなあ!」と素直に思ったものです。大学生の時にその曲が「オルガン付き」だと知ってすぐに
CDを購入しました。


ジョルジュ・プレートル指揮、パリ音楽院管弦楽団の
1963年の録音です。なぜこのCDにしたかというと一番安かったからです(^_^)!。でも聴いてビックリ!ものすごい重低音のオルガンが鳴り響く、とても過激な演奏でした。


この
CDですっかり「オルガン付き」が好きになった私は他のCDも聴きまくりましたが、私にはこのプレートルのCDを超える演奏はありませんでした。現代はYouTubeで無料で聴くことができます。是非皆さんもこの重厚なサウンドを経験して欲しいと思います。


このコーナーではクラシック音楽に限らず、アニメソング、歌謡曲など皆様に寄り添った音楽のレヴューを行っていきますので、次回も乞うご期待!です!

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